五月雨さつき-ひじり-

大阪府八尾市刑事課に被害届、研究盗用に対する住居侵害において睡眠時の侵入が考えれる。バラばらの薔薇,生徒会でお下がりを管理するお話です。https://kyo-kan-kaku-synesthesia.hatenadiary.com/story_24

実験方式

5月15日INPIT 平井様

5月27日大阪科学技術センター 上西様 平井様

 

5月20日本間綜合国際法律事務所

 

共感覚で特許を取られている方の謄本を見せて頂きました。

プログラムのソフトを開発して、打っている文字をシステムで共感覚であると判別できるような産業における商品を開発してはと提案されました。

それに対して、段落によって語句の意味が変わりますので、論理的に意味が通じていることと別で、構成上の意味が通じているかということが必要になるということを伝えました。

 

これは、2軸構成文について、AIやプログラムソフトでは、書くことも分析することも難しいと考えます。

木を見て森を見るという作業と、2軸構成文を書くことを、構成に配慮して、かつ意味として通じているということが必要になると考えており、どうしても実験方式になります。

 

階層的言語の思考過程は、従来の分野における課題を解決する実験方式であり、自然法則を利用している。(知的財産法 特許法)書籍による基本的な事項については抑えている。

工学や医学の分野と異なる共感覚という分野において、特性上実験方式になる。

 

安易にこういうソフトを開発してしまうと、(私はプログラミングはできませんが、例えば言語を意味として集めたデータベースを作ること)特別に賢い方が季語やレトリックを覚えて、構成を作ると(音楽で言う即興をなさったときの感覚)、共感覚判別ソフトなるものを販売したときに、賢いと共感覚なのかと思ってしまって、本当に共感覚をお持ちの方に迷惑がかかると思っています。

共感覚は、知能と別であるということです。

サイエンスなので、論理です。

論理に強いと学歴が高いか、職業として地位が高くなる傾向にあると考えます。

共感覚は、論理でありながら、学歴と関係がないということです。

この学歴の高い人が共感覚者と同じことをしたり、共感覚判別ソフトを作ってしまうと、私のように知能的には小中学生でもちゃんと共感覚を持っている人間が、とても困ってしまうということになります。

 

私は、言語共感覚とナンバーフォーム共感覚を持っているので、数値を持って言語共感覚を説明すると一般の方にも分かりやすいのですが、言語共感覚のみをお持ちの方で語彙がとても多様な方がおられたときに、賢い人と区別がつかないということになると思います。

では、賢い人とどうやって区別するのかを考えると、

バリエーションが豊かであるという現象の多様性が加わりますので、いろんな言葉を連語で繋げたところで、構成が単一であると、区別できると考えています。

 

これは、色字共感覚者の方も、多様な色で見えているように、共感覚者は現象のバリエーションも人によって多さは異なりますが、全部ピンクに見えてるという方がおられないように、言語共感覚者の現象の構成のバリエは、賢い方では難しいという定義を考えています。

言葉のバリエではなく構成のバリエ。

こう考えると、色字共感覚者も言語共感覚者も現象の構成のバリエについて、意味として同じであると分野における共通点があると考えています。

ピンク色が多い人はいても、全部ピンクに見えている人はおられないようですし、色数の多さが人によって異なる。また色の見え方が人によって異なっても常に同じ色で見えているというのは色字と言語の共感覚による差異であると、こうフローチャート式に何が共感覚であるかというのを対照して見ることができる。

ピンク色がキレイかどうかはおそらく共感覚者の才能とするなら、

言語について言うなら、構成が面白いかどうかが才能というところだと考えると、才能と共感覚との異なりもわかりやすいかと思います。全部言語で説明するので難しいですが。

言語の論理性と知能と共感覚の区別。

ランダムとシャッフルでありながら、一貫性と統一性があり、かつ構成が多様である。

パフェ。

そのパフェが美味しいかどうかは才能で、パフェというスイーツがあるという。

パフェの具材は、本人の地道な努力であり、才能も共感覚も関係のないところがある。

ただ具材を集めただけでは、器がないとパフェではない。

共感覚というパフェの器が、階層的言語の思考過程ということに言語は今のところそうなります。

 

私がこう丁寧に説明すると、生物学の知識で、南半球でこう考えている人がいると北半球でも同じことを考えている人間がいて、ご都合主義を出されるので、研究不正告発に対しては厳密に記述します。

私は、ブログの日付ぐらいしか自分の身を守ってくれるものがないので、知識を出すしかないという状況です。

 

 

 

私は一応大学を卒業していますが、高校受験と大学受験をしていないので、知能的には小学生や中学生ぐらいだと考えています。

実地で世の中の書物を読んできたということだと思います。

整理収納の資格を取得しているので、学んでいるということには変わりはないと思うんですが、学び方が独自であるという感じだと思います。

 

言語の論理性と識字率の高さと知能と共感覚の区別において。

 

 

そして、識字率100%において、論理を持って共感覚としたときに、共感覚の言語の前に、共感覚者であるかということが大切であると考えていて、共感覚者が書いた言語が共感覚なのであって、同じ言語を例えば発したとしても言語は組み合わせたら何かにはなると思いますので、季語や連語について、言葉だけを持って共感覚かどうかではなく現象として言語が現れているかが、科学的に共感覚を考えるときに大切なことだと思います。