主人公の部活着
13競技の部活
いろんなスポーツが書いてある記事(2019年8月28日)を見て、環世界とリンクをして、見えないスポーツ図鑑という発想に至ったのだと考えています。
おそらく来られたのは、2020年6月だと思います。渡邊研究員の研究不正告発に関して。
(これのどこが違法なの、これのどこが違法なのと逐一説明をするのは面倒なので、過去ログを見てください。)
横澤教授の研究不正についてが、暴きにくいので困っているという。
オンライン上の研究データの共感覚の現象自体を分析をして、英語の共感覚者を募って、松田と同じ研究成果を出し、自分の研究の中で松田と同一の結果を出した場合に、
資本主義でOKでも、学術としてNGということがある。
学術の単一性において。
今まで、著作権ベースで話をしている(あやふやな認識という定義で話しているが)、学術としてOKでも著作権としてNGということがある。
(言葉の繋がりにおいて、共感覚としてOKだが、商標や著作権として繋がっていると市場に出す場合は難しい)これが資本主義、松田が批判されているのは、主にこの部分だが、既に説明済。
(言葉は違うが本質的に同じことをしているのは、著作権は表現としてOKだが、学術はNG)学術、私が横澤教授に対して批判を行なっているのはここの部分。
言葉は違うというのは、日本語の言語共感覚と英語の共感覚で書かれているものは、「あいう」と「ABC」と異なるが、現象自体のバリエとして同一の意。
知的財産権 特許法の書籍にも、本質的同一の発明はダメとある。
ここはクリエイティブに関しても、大きなかぶを大きな人参にしてもダメということでこちらも説明済。
学術としての方が、知的財産として比重が重いので守られるべきという考えがある。
より価値の高いものを生み出す人間ということに関して、レシピとレシピ通り作る人間がいたときに、表面上は、上手に作ることができると(より美味しい料理になるので)価値が高そうに見えるが、実際は、レシピを生み出す人間の方が価値が高い。
0から1と、1から100000という数値で見ると、レシピ通りだから、0から1が大変という。学術が価値を言われるのは、0から1だと考える。
見つけて頂いた感謝は常にあるが、研究職は研究が財
資本主義上はBLだが、学術として共感覚と環世界という。すごい振れ幅。
小説の中の部活着
本庄のメモ、お下がり総枚数2,000着
2019年8月28日
スクエアエニックス出版社へ実際に送付したメール画像
共感覚立証データ
(ハッキングにより、中谷、横澤が入手していることを常々訴えています)2021.3