階層的言語の思考過程
上から順番に書くというのはわかりやすく言うとこういうようなことです。
説明として、
縦書きを横に並べるのではなく、全て縦書きで説明をすることで、
構成の入ったもの(この場合は、総理大臣の時事ネタですが)で、言語自体が階層的に層をなし(14会話で5人の登場人物が、5回(話数にいない人物を入れて1回)、4回、3回、2回の層を創る)、非推敲で行い、論理として意味がある文脈(ニュースで、安倍さんがマスクを作っていたのでアベノミクスとマスクでマックスという言語自体が韻と意味のある効果)を形成することが、共感覚を持っていなければ少し難しいというになります。
たとえば、アベノミクスとマスクで阿倍野にいます(土地名)とかにしたら意味として言語自体が関係のないものとくっついているという感じになります。層をなすということについて。
関連ワードを繋げたらいいかというとそういうものでもないので、IQとセンスを区別する必要があり、内容は知識量のあるIQが有利で、繋げた方はセンスが有利にはなります。
登場人物が1人で話すのではなく、登場人物が互い違いに話すことで、IQとセンスの両方が必要になり、賢いだけでもセンスがいいだけでも無理という、ウィットさが1つの感じ方として共感覚にあると考えています。
知っていなければ書くことはできないが、知っているからと言ってお話が書けるわけでもない。
物凄く政治に詳しいとかですと、知識になり物語性にならない、センスだけだと今度は、アベノミクスとマスクで阿倍野にいます(土地名)と意味として関係のないものとくっついているというようなことになると考えています。
理解度と共感覚を考える所以です。
あー阿部さんマスクを配ってるわ、アベノミクスは経済のお話。
アベックて言葉があって、一世風靡ということが昔あったけど、このマスクのニュースも言葉と同じように未来の子供たちは、アベノミクスで何があったのかを知らない時代が来るのかしら。というような本文の意味です。
(古今の対比を現在を持って今と未来にするというのが構成になります。これは小説家の部分です。鶴島がいることによって、高橋40代吉沢30代渡瀬20代鶴島10代というのが構築になります。別でひじりがナレーションという立場をとっているのが構造です。)
ミックスと相乗効果でマックスという意味として層をなしている。
無限大でアベック、字形。
無量大数だと塵劫記とマスクが意味として、マスクが人工の塵を守るものとして、繋がっている。(無量大数は知識として知っていますが、塵劫記(じんこうき)というのは説明するために調べて得た知識)
なので、共感覚で書くと知らないことも繋がっているという(勿論、論理的意味として。ここに共感覚がサイエンスであるというところなんですよね。根幹の意味を抑えていることが多い、塵劫記は数値概念の指標)
教師と生徒で、塵とほうきを片付けがかかっている。
共感覚が理解度であり、理解の根幹を抑えていると共感覚が発動して、知識として知らないこととも繋がっているということが、全て論理である。
よく見知った道なれば、どこからでも目的地に着くように、
理解をしている事柄なれば、どんな風にでも説明ができるというのが、
身近にあることで理解度がわかりやすいことかと思います。
カーナビに頼っていると道を知ってたどり着いても地理について詳しくなることはない。
理解とは繰り返し反芻を行うことで、全体像を把握することである。
(見立てや技巧という別の手法もありますが、本筋としての説明)